morinosotohe

1997年生まれ

走り出す

冬も雪も好きだからつい忘れていたけど、雪って雨の仲間だから、たぶん低気圧だよね。そう思って、やっとカロナールを飲んだら、頭がすーっと楽になってきて、横にならなくても大丈夫な感じになってきた。頭がいたかったの、いたいときはわかんなかったな。

昨日は思い至らなくて、朝の予定も、昼の予定も、夕方の予定も、ぜんぶベッドに横たわったまま、ぎりぎりの電話をかけてキャンセルしてもらって、ほとんど眠っていた。

「今日は信じられないくらい外が寒いからね、それでいいと思う!風邪をひかないように!」と、昼の予定だった区役所の人が言ってくれて、元気づけられた。

わたしはその区役所の人に、家計簿を手伝ってもらったり、進学の相談に乗ってもらったりしている。飛行機の予約の仕方までもたすけてもらった。家計相談に行ったらたまたま担当になった人が、以後包括的に関わり続けてくださっている、という状況で、言い換えると、わたしが享受しているこのホスピタリティーは、行政の制度とか仕組みというより、彼女個人のバイタリティーや問題意識や「仕事ができる」ことに依るものだよなというのも感じていて、半年前くらいに読んだ『ヘルシンキ 生活の練習』(朴沙羅、筑摩書房、2021)のこととかを思い出す。

学校に行きたいって気持ち、人に教わりたいって気持ち、まちがいじゃないって、背中を押してくれた一冊でもある。健康もお金もないとしても、年若いいま、それを諦めてはならないと思って、めちゃくちゃあがいていたその一方で、学校になんて、どうやっても行けないんじゃないかと、落ち込んでもいた。それが2ヶ月くらい前から、思わぬ形で、再進学や受験が現実になりつつあり、なんというか、時期が来ないとひらかない扉だったのかもしれない、という感じもする。

たしか昨年の、今年の占いみたいなやつの乙女座の項が、「問いを生きる」というテーマで書かれてあって、当時23歳のわたしは、いまの自分にもっとも足りていない視点や態度がそれだと思えてならなかったし、実際そういう行き詰まり方をしていた。心がけようとはしても、何度も忘れそうになって、ハッと思い出しては、その文章を読み返した。問いを生きること、そういえば身についてきたなと、最近感じる。

 

入学金のために貯金をがんばったほうがいい、と話し合っていた冬のはじめ、もともと好きで通っていた喫茶店が掛けた求人募集に飛び込んで、いまはそこで働いている。飲食は、もっとも不向きな職種のひとつで、足を引っ張って怒鳴られたり叱られたりした思い出しかなく、そもそも継続的に働くということ自体想像しにくい体調が何年も続いていた、はずだったが、夏にかかりつけを変えてから飲み始めた薬の効果で、そのへんもなんとかなっている。怒鳴られたり、叱られたりはしていない。えらいとよ~、とほめてくれるし、シフトのない日もあそびに行って、ついでに手伝ったりしている。客席はぜんぶ2階だけど、こぼさないで運ぶことにも慣れてきた。引っ越したくないな、と思うくらい、アルバイト先のことを好きで、一人暮らしの自宅以外に居場所があるのってありがたい。労働が楽しくて、人生がどっかいきそうになるけど、それって結構、ふつうにしあわせなことなのかもしれない。本来は、生きることって、それでいいはずというか。

でも、労働が楽しくて、人生がどっかいきそうになる、そのうちに、だんだん貧しくなっていくとしたら、10年後、20年後は、そう思うと、目を伏せてしまう。だってこの国は、これから社会は、いよいよそうなっていくのかもしれない。

ずっと居たいくらい、ここは居心地がよくて、だからわたしは、走り出さないといけない。それが理屈としてすごく自覚できていて、どうしてもつらい。走り出すこと、遠くまで行き、そこで自身のための学びに日々を費やすということは、この土地で、だれかの命がおわるとき、立ち会えないことの後悔と、引き換えなのかもしれないから。それを受け止められるだけの、生き物としての丈夫さが、わたしにはまだひとつもない。

 

臨時休業の連絡が来た。クリスマス寒波というので、電車やバスがとても遅れたりしているらしい。信じられないくらい外が寒いから、と昨日聞いたのを思い出す。信じられないくらい寒そうな音、ぶつかる風の音が、そういえば外からずっとしている。

休みになったシフトの代わりに、週末の神社へ説明会に出て、この年の瀬は巫女さんとして働き明かそうとおもう。神さまにお礼を言いたいこと、わたしもたくさんあるよ。祈りたいことも。